性

妻は1回浮気したら離婚の理由になる。夫は愛人が何人いても、それだけでは理由にならない

1898〜1899年(明治31〜32)約4分で読めます

横長 16:9。アニメ調の挿絵(ラノベの挿絵くらいの描き込み)。絵の中に文字は入れない。明治時代の地方の日本家屋、夜。行灯のほの暗い明かりの寝間。畳に布団が1組敷いてある。主役は妻: 画面の右手前、30代の大人の日本人の女。地味な縞の着物をきちんと着て、髪はまとめ髪。布団の横に背すじをぴんと伸ばして正座し、膝の上に小さな黒い表紙の本(教会でもらった聖書)を置いている。口元はにっこり笑っているのに、目はまったく笑っていない。布団の方へ、ていねいに、でもはっきり話しかけている。怒鳴ってはいない。落ち着きはらって、一歩も引かない顔。画面の左奥: 夫、30代の大人の日本人の男。着物のまま布団を頭までかぶって寝たふりをしているが、布団のすき間から片目だけ出て、冷や汗をかいている。障子の窓の外、遠くの夜空に、小さな木造の教会の屋根と十字架のシルエットが見える。登場人物は全員はっきり大人。色っぽい要素はなし。夫婦げんかのコメディの空気で、勝っているのは妻。
AI で生成したイメージです。史料の場面をもとに描いた想像の絵で、当時の写真や絵ではありません。
全国(公布は東京)

物語この浮気亭主に正論を!

セリフと心の声はこのサイトの創作です。本当にあったことは、下の「このエピソードの説明」と出典にあります。

明治のある地方。

わたしの夫は、浮気をします。たまに、ではありません。しょっちゅうです。

夜おそく、廊下をこそこそ歩く足音。わたしは寝ないで、ちゃんと座って待っています。

「あなた。また、ですね」

夫は布団にもぐって、寝たふりをします。もぐっても聞こえる声で言うので、意味はありません。


しかも、この国の法律ときたら。

わたしが1回でも浮気をしたら、夫はそれだけで離婚を求められます。

夫のほうは? 夫の浮気が離婚の理由になるのは、夫が罪になって罰を受けたときだけ。でも刑法が罰する浮気は、夫のいる女の人と、その相手の男。夫の浮気の相手が独身の女の人なら、当てはまりません。

夫に愛人が何人いても、わたしからは離婚を求められないんです。

は?

だったら、言うしかないじゃないですか。毎晩。


ある朝、夫がやけにやさしい顔で言いました。

「なあ、おまえ。キリスト教の教会に通ってみないか。ありがたい話が聞けるぞ」

はい、分かりました。教会で、わたしのやきもちを和らげてもらう。やきもちがおさまれば、わたしは文句を言わなくなる。そうなれば、浮気し放題。そういう作戦ですね、あなた。

顔に全部書いてありますよ。

「ええ、行きます」

わたしは教会に入りました。断る理由もありませんし。


教会に通いはじめて、しばらくたった夜。

こそこそ、こそこそ。あの足音です。

「あなた。また、ですね」

夫の顔から、すうっと元気が消えました。作戦が外れた男の人の顔って、こうなるんですね。

教会のおかげで、心はとてもおだやかです。おだやかに、何度でも言います。

わたしの心は、石や鉄みたいに固いんです。

このエピソードの説明

「一には、嫜に順ざる女は去べし。二には子なき女は去べし」原文: 福澤諭吉「女大学評論」(1899)が引く『女大学』の本文

明治時代の1898年にできた民法には、夫婦が裁判で離婚を求められる場合が書かれました。ただし、夫と妻で差がありました。妻は浮気をしたら、それだけで離婚の理由になります。夫は、浮気が犯罪になって刑を受けたときだけです。そして刑法が罰する浮気は、夫のいる女の人と、その相手の男でした。夫の浮気の相手が独身の女の人なら罪にならないので、夫に愛人が何人いても、妻はそれだけでは離婚を求められませんでした。

慶應義塾を作った福沢諭吉は、1899年の「女大学評論」という文章で、江戸時代に広まった、女の人の心得を書いた本『女大学』を批判しました。『女大学』には、夫が妻を家から追い出していい理由が7つあり、その1つは、やきもちがひどい妻は追い出してよい、というものでした。福沢は、この教えを持ち出して自分のわがままを通そうとする男が多い、と書いています。

その例として福沢が書いたのが、ある地方の浮気男の話です。浮気を責める妻のやきもちを和らげようと、妻をキリスト教の教会に入れたのに、妻の文句は止まらず、男はがっかりしました。福沢は、『女大学』の教えを持ち出す男は、たいていこの男の仲間で、「我田に水を引くものなり」、自分の田んぼにだけ水を引く者だ、と書いています。

福沢によれば、夫の浮気を責めるのはやきもちではなく、結婚の約束を守らせるための、妻の正当な防御です。そのせいで夫が怒っても恐れることはない、「心を金石の如くにして争うこそ婦人の本分なれ」、心を石や鉄のように固くして争うのが女の人のつとめだ、と呼びかけました。

ミニ講義大日本帝国憲法の制定

同じころ、国は大日本帝国憲法を作り、そのあとも法律を次々にそろえていきました。

出典 27件引用は原文と機械で照合済み
  • 福澤諭吉「女大学評論」(1899)が引く『女大学』の本文 原文
    一には、嫜に順ざる女は去べし。二には子なき女は去べし
  • 同上 原文
    三には淫乱なれば去る。四には悋気深ければ去る。五に癩病などの悪き疾あれば去る。六に多言にて慎なく物いひ過すは
  • 同上 原文
    七には物を盗心有るを去る
  • 同上 原文
    詰る処婦人の権力を取縮めて運動を不自由にし、男子をして随意に妻を去るの余地を得せしめたるもの
  • 民法第四編第五編(明治31年法律第9号、公布時) 原文
    明治31年6月21日法律第9号
  • 官報 1898年6月21日(民法第4編)第813条 原文
    夫婦ノ一方ハ左ノ場合ニ限リ離婚ノ訴ヲ提起スルコトヲ得
  • 同 第813条第2号 原文
    妻カ姦通ヲ爲シタルトキ
  • 同 第813条第3号 原文
    夫カ姦淫罪ニ因リテ刑ニ處セラレタルトキ
  • 同 第813条第5号・第6号 原文
    惡意ヲ以テ遺棄セラレタルトキ
  • 福澤諭吉「女大学評論」(1899) 原文
    離縁を許すは以上の十箇条に限り、其外は如何なる場合にても双方の相談合意に非ざれば離縁するを得ず。三行半の離縁状などは昔の物語にして、今日は全く別世界なりと知る可し
  • 刑法(明治13年)第353条 原文
    有夫ノ婦姦通シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ處ス其相姦スル者亦同シ
  • 福澤諭吉「女大学評論」(1899) 原文
    或る地方の好色男子が常に不品行を働き、内君の苦情に堪えず、依て一策を案じて内君を耶蘇教会に入会せしめ、其目的は専ら女性の嫉妬心を和らげて自身の獣行を逞うせんとの計略なりしに、内君の苦情遂に止まずして失望したりとの奇談あり
  • 同上 原文
    衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時の行楽、一として意の如くならざるものなければ
  • 同上 原文
    夫の不義不品行をも余処に見て恰も平気なる者なきに非ず
  • 同上 原文
    固より嫉妬の痴情に駆らるゝものに非ず
  • 同上 原文
    心を金石の如くにして争うこそ婦人の本分なれ
  • 同上 原文
    我輩は之を婦人の正当防禦と認め
  • 同上(年) 原文
    year=1899
  • 同上 原文
    不品行にして狡猾なる{{Ruby|奴輩|どはい}}は
  • Wikipedia「福澤諭吉」 原文
    慶應義塾の創設者
  • Wikipedia「女大学」 原文
    貝原益軒の女大学を批判したもの
  • 福澤諭吉「女大学評論」(1899) 原文
    男子の方が却て女大学の趣意を唱えて以て自身の我儘を{{Ruby|恣|ほしいまま}}にせんとするもの多し
  • 同上 原文
    天下の男子にして女大学の主義を云々するは、多くは此好色男子の類にして、我田に水を引くものなり
  • 同上 原文
    被害者たる婦人が正々堂々の議論以て其罪を責むるは、契約の権利を護るの法にして
  • 同上 原文
    之が為めに男子の怒ることあるも恐るゝに足らず
  • 官報 1898年6月21日(民法 第四編の見出し) 原文
    第四編 親族
  • Wikipedia「女大学」 原文
    中期以降広く普及した女子教訓書

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