性

お風呂上がりの男が二階に上がると、お化粧をしたきれいなお姉さんが待っていた

1885年(明治18)約4分で読めます

横長 16:9。アニメ調の挿絵(ラノベの挿絵くらいの描き込み)。絵の中に文字は入れない。明治のはじめ、東京の銭湯(湯屋)の二階の座敷。夕方、障子窓からやわらかい光。畳の広間に、風呂上がりの大人の男たちが浴衣姿でくつろいでいる。奥では、新聞を読む男、将棋をさす二人、菓子をつまみながら麦湯(麦茶)をすする男。画面の端に、下の男湯から上がってくる階段の口が見える。手前の主役は、浴衣の男(30代、能天気でうれしそうな顔)。ラムネの瓶を腰に手を当ててぐびっと飲んでいる。そのすぐ横に、湯屋の姐さん(20代後半から30代の、はっきり大人の女性。日本人。白粉をばっちり塗った白い顔、赤い口紅、日本髪。着物の襟を少し抜いて首筋を見せ、胸が大きい)。色っぽく笑いながら、ラムネをもう一本差し出している。露出は首筋と鎖骨まで。登場人物は全員はっきり大人。にぎやかでちょっと色っぽい、楽しい空気。
AI で生成したイメージです。史料の場面をもとに描いた想像の絵で、当時の写真や絵ではありません。

物語この湯上がりの二階に姐さんを!

セリフと心の声はこのサイトの創作です。本当にあったことは、下の「このエピソードの説明」と出典にあります。

明治のはじめ。東京の湯屋。

ひとっ風呂浴びて、体はぽかぽか。こうなると、まっすぐ家に帰る気にはならない。

男湯の入口のところに、二階へ上がる階段がある。

この階段、男湯にしかない。女湯からは上がれない。

上がれるのは男だけ。つまり二階は、男のための場所だ。

男のための場所には、男が喜ぶものがそろっている。


二階は座敷になっている。

新聞を読むやつ。雑誌をめくるやつ。将棋をさすやつ。菓子をつまみながら、麦湯をすするやつ。

そんな連中の横で、俺はラムネをぐびっといく。

そして座敷には、ネエちゃんがいる。

日によって一人か二人。今日はおっぱいのでかいほうのネエちゃんだけだ。

白粉をばっちり塗った、いい女だ。

みんなは「湯屋の姐さん」と呼んでいる。

「お兄さん、湯上がりにもう一本いかが」

いかがも何も、いただくに決まっている。


ここで何があったかって?

俺はラムネを飲んでいただけだ。本当だ。

ただ、お役人が取り締まりに来ては、「面白くない実例」とやらをたびたび見つけていったらしい。

何がどう面白くなかったのか、お役人は俺には教えてくれない。

そして1885年ごろ。

湯屋の二階は、禁止になった。


「おかしいだろう!」

と、文句を言うやつもいた。

「銘酒屋は許しといて、なんで湯屋の二階だけダメなんだ。不公平だ!」

銘酒屋ってのは、酒屋みたいな看板を出しているくせに、酒は一合も置いていない店だ。置いてあるのは、客を呼びこむネエちゃんのほうだ。

もっともな話だ。俺もそう思う。

でも、湯屋の本業はあくまで風呂だ。二階はおまけの商売にすぎない。おまけを取り上げられたからといって、お上に表立って逆らうわけにもいかない。

こうして、湯屋の二階は消えた。

「湯屋の姐さん」という呼び名も、いっしょに消えた。

ラムネ、うまかったんだけどなあ。

このエピソードの説明

「白粉臭い女が一人又は二人ぐらい控えていて、二階にあがった客は新聞や雑誌をよみ将棋をさし、ラムネを飲み、菓子をくい、麦湯を飲んだりしていた」原文: 岡本綺堂「明治時代の湯屋」

東京の湯屋、つまり銭湯の二階の座敷は、江戸時代からありました。江戸の終わりごろから、そこに若い女の人を置くようになり、明治のはじめには、たいていの銭湯に二階がありました。二階への入口は、男湯にしか設けられていません。湯上がりの男のお客さんがくつろぐ座敷には、「湯屋の姐さん」と呼ばれる女の人が1人か2人いました。

二階で何があったのかはわかりませんが、1885年ごろ、銭湯の二階は禁止されました。作家の岡本綺堂によると、取り締まりで問題がたびたび見つかったからです。

同じころ、浅草には銘酒屋というお店が生まれていました。東京の裏の顔を書いた1909年の『東京の裏面』という本によると、始まりはその本の二十数年前。お客を呼びこむ女の人を置いた店が、新しい看板を出したのが最初です。お酒のビンを並べていても、お酒は一合も置いていません。この本は、似たような店を「露骨に云へば、淫賣屋」と書いて、銘酒屋も「御同様」だと言っています。

この本によると、少し前に取り締まりが厳しくなって、銘酒屋は表通りで商売をするのを禁止されました。それでも裏通りや路地をのぞくと、まだ「いらっしゃい」と呼びこんでいたそうです。

ミニ講義文明開化

同じころ、東京の町は、欧米の制度や文化を取り入れて、どんどん作りかえられていきました。

出典 21件引用は原文と機械で照合済み
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    白粉臭い女が一人又は二人ぐらい控えていて、二階にあがった客は新聞や雑誌をよみ将棋をさし、ラムネを飲み、菓子をくい、麦湯を飲んだりしていた
  • 同上 原文
    風紀取締りの上から面白くない実例が往々発見されるので、明治十八年頃から禁止された
  • 同上 原文
    矢場や銘酒屋を許可しながら、湯屋の二階だけを禁止するのは不公平だという議論もあった
  • 同上 原文
    湯屋が本業である以上、副業の二階を禁じられても公然の反対は出来なかったので、湯屋の二階はここに亡び、「湯屋の姐さん」という名称も消滅した
  • 同上 原文
    客は湯銭を半紙にひねって三宝の上に置いて這入る。それを呼んで「おひねり」という
  • 同上 原文
    花柳界に近い湯屋などは、この「おひねり」の収入がなかなか多かった。芸妓などは奮発して、五銭も十銭も余分に包むからである
  • 同上(書誌) 原文
    『江戸と東京』<span dir="ltr">38</span>年4月号
  • 永沢信之助編『東京の裏面』(1909)、OCR の p.134 原文
    裏通りや路次を覗くと、右記す如くで、依然『入らつしやい』をやる
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    菖蒲湯又は柚湯の日には、湯屋の番台に白木の三宝を据えてあって
  • 永沢信之助編『東京の裏面』(1909) 原文
    酒と云つては一升は愚か、一合の用意も無い
  • 同上 原文
    露骨に云へば、淫賣屋
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    白粉臭い女が一人又は二人ぐらい控えていて
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」(同時代人の回想。文末に「『江戸と東京』38年4月号」。書いた年は昭和13年=1938年とみられる) 原文
    三馬時代の湯屋の二階番は男が多かったらしい。江戸末期から若い女を置くようになって、その遺風は東京に及び、明治の初年には大抵の湯屋に二階があって、男湯の入口から昇降が出来るようになっていた
  • 『東京の裏面』奥付(OCR の p.202。明治42年12月20日発行。OCR は逆順) 原文
    行發日十二月二十年二十四治明
  • 同上(編輯者) 原文
    永澤信之助
  • 『東京の裏面』「銘酒屋」、OCR の p.134 原文
    今から二十四五年程前
  • 同上 原文
    客を呼ぶ女を抱へた店が
  • 同上 原文
    此新有板と云ふのが卽ち今の銘酒屋の濫龍である
  • 同上、OCR の p.133 原文
    近年其筋の取締が稍嚴重になつて、表通りの營業を禁止し
  • 同上、OCR の p.137 原文
    近所合壁の銘酒屋や新聞縱覽所と、總てが御同樣さま
  • 岡本綺堂「明治時代の湯屋」 原文
    規定の湯銭よりは一銭でも二銭でも余分の銭を包むのである

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